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4 なぜ出雲大社で縁結びがなされる、といわれるのですか

 出雲大社に関して縁結びの神徳が初めて記されるのは、現在のところ、出雲大社の神在祭の由来を語る能の演目『大社(おおやしろ)』の中で行われる「間(あい)」と呼ばれる狂言の貞享2年(1685)の謡本です。ここに「男女ふうふのゑんをも御定」と出てきます。この「間」は少なくとも江戸前期には演目として存在していることがわかりますので、出雲大社での縁結びは江戸時代初めまでさかのぼると言って良いかもしれません。とはいえ、貞享3年の井原西鶴の『好色五人女』に出雲大社での縁結びが記されていることからすれば、17世紀末には出雲大社での縁結びは一定程度広がっていたものと考えられます。
 ところで出雲大社でなぜ縁結びとされるようになったのかは、よくわかりません。中世末に福神と捉えられていた出雲大社に、京都の縁結びの神社として有名な出雲路幸神の信仰が、同じ「出雲」を冠することから結びついていったとも考えられます。また18世紀前半では、出雲大社の縁結びの御神徳はオオクニヌシの父神であるスサノヲの御神徳と捉えられています。そうであるなら、スサノヲが大蛇退治神話で、大蛇を退治し、イナタヒメと結婚したことが出雲大社での縁結びにつながっているとも考えられます。いずれにせよ、大きな神社に様々な御神徳が結びついていくのは当然のことなのかもしれません。

出雲大社之図
           出雲大社之図

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