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コラム 糸操り復活でめでたい!

 大社の糸操り(杵築人形芝居)は、17世紀半ば頃から行われ、勢溜の東側にあった芝居小屋などで上演されていました。その後、大正13年(1924)に「お国座」などが建てられ、これらの芝居小屋で盛んに上演されていました。その後一時中断されましたが、昭和8年(1933)に復活しています。しかし、第二次世界大戦により興業が中止され、やがて糸操りは行われなくなっていました。
 ところが平成28年(2016)、大社ライオンズクラブが発足40周年を記念して、益田糸操り人形の大社公演を企画し、これにあわせて三番叟の人形1体を製作したことから復活の機運が高まり、5月には復活に向けての発起人会が開催、6月には保存会が結成されています。
 大社糸操りは復活にむけて歩み出したのです。


糸操り人形 三番叟

糸操り人形 三番叟
平成28年(2016)
大社ライオンズクラブ
 益田糸操り人形保持者会の協力を得て、大社ライオンズクラブで制作した手作りの糸操り人形。かつて大社糸操りは益田糸操りで用いられた人形を譲り受けたことがあり、益田と大社の糸操りは密接な縁で結ばれているといえるでしょう。








糸操り人形 初菊

糸操り人形 初菊
昭和12年(1937)以前
出雲市
 『絵本太功記』「六日・妙心寺の段」で用いられたと考えられる大社糸操り人形。『絵本太功記』は武智光秀(明智光秀)が小田春長(織田信長)に反逆し、本能寺で春長を討ってから真柴久吉(羽柴秀吉)との戦いに敗れ、農民の手にかかるまでを演じるまでを光秀を主人公として描いたものです。

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