新古今和歌集の編さんで知られる優れた文化人であった後鳥羽上皇は、鎌倉幕府への対抗意識を燃やす政治家でもあり、承久3年(1221)に鎌倉幕府執権の北条義時の打倒を目指して挙兵します。 しかし、この承久の乱に朝廷軍は敗れ、上皇は隠岐国海士郡苅田郷(現在の島根県隠岐郡海士町)に流されました。 上皇は最後まで帰京を許されることなく、在島十九年目の延応元年(1239)に上皇は六十歳で波乱の生涯を閉じました。 令和3年(2021)は後鳥羽上皇が隠岐国に御遷幸されて八百年目に当たります。都から遠く離れた隠岐で上皇が何を思い、そして島民がどのように上皇の御霊を慰めてきたのか、隠岐神社の所蔵品を中心に、その歴史をたどります。