HOME > コレクション

絲原記念館資料情報(人気者ランキング)

おすすめ収蔵品を見る人気者ランキングを見る50音から検索する

1
建盞天目茶碗建盞天目茶碗
[不明]
天目茶碗は中国の天目山の仏寺の什器であった器を、わが国の禅僧が持ち帰ったところからこう呼ばれる。台子点前で天目台に乗せて、仏前への献茶や貴人点に使用される。 本碗は今から約千年前の中国・宋代の福建省の…
2金厳山岩屋寺図金厳山岩屋寺図
[不明]
明治11年(1878) 竹田の養子である直入は明治時代の南画家で、山水・花禽草木とも良くし、その熟達した筆致は当時の南画家中でも群を抜いた存在であった。 本幅は横田町にある古刹・岩屋寺を写したもので、…
3書状「大高源五宛」書状「大高源五宛」
[江戸時代]
内蔵助が、討入りの同士として最も信頼していた大高源五に宛た書状。源五は談林派の俳人としても著名で、この手紙の宛名も俳号の子葉となっている。 その大意は、源五が内蔵助を訪ねたときの手土産に対する礼と、そ…
4いぬ子柳桑中次いぬ子柳桑中次
[江戸時代]
在名・共箱(江戸時代) 
5茶杓「銘小サヒ」茶杓「銘小サヒ」
[江戸時代]
宗旦は千利休の孫で、字を元伯・号を咄々斎といい千家流茶道の確立者である。一生仕官せず、”佗び茶”に徹し、俗に”乞食宗旦”と称された。 本品は拭漆をかけない蟻腰の小造りなもので、櫂先は自然の丸みを利用し…
6書「重山曲水楼」書「重山曲水楼」
[明治時代]
明治11年 田能村直入は明治時代のわが国南画界の第一人者で、画及び書もよくした。 直入は明治11年(1878)と12年(1879)に絲原家に来遊した。この額はその際、直入に絲原家が当時隣村の三成に所有…
7文殊像文殊像
[室町・戦国時代]
室町時代 普賢菩薩とともに釈迦如来の脇侍として左に侍す釈迦三尊のひとつで、右手に知剣、左手に青蓮華をもつ、智恵を象徴する仏。 ”三人寄れば文殊の知恵”のことわざはこの菩薩に由来する。

ページトップ