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神々のすがた、かたちの変遷の研究

古代出雲歴博のキャラは「雲太」ちゃんと「出雲」ちゃん。島根県警は「みこぴー」、島根県にちなむキャラクターを思い浮かべてみると、大かた神話の神様がモチーフになっていますね。例外的なのは、しまねSUPER大使の「吉田君」(雲南市吉田町出身。出雲市平田町で育ち、東京を拠点に大活躍)でしょうか。
それはさておき、一般に現在の私たちが抱く神様のイメージは、髪をみずらに結い、勾玉を首にかけた古代の豪族のイメージではないでしょうか。ところが「神様=古代豪族のイメージ」というのは、実はおよそ1 世紀前、明治時代の中頃にできあがったものなのです。
たとえばスサノヲのミコトは、現代のマンガなどでは古代の英雄の姿などに表現されることが多いようですが、有名な八重垣神社の板絵では、衣冠束帯を身に著けた貴人の姿であらわされています。ところが寺院では、「スサノヲ=牛頭天王」と考えられ、仏教風の衣裳や異国風の甲冑をまとった姿で表されたりしました。かと思えば、江戸時代には髪を結わない、ボサボサの頭で表現されることも珍しくありませんでした。
 元来日本の神様には、キリスト教のイエスやマリア、仏教の仏や菩薩、諸天のような、あらかじめ固定されたイメージは存在しませんでした。むしろ常人の目にはみえない畏おそれ多い存在で、時に人や動物、木石などに憑依して託宣し、神意を告げる存在と捉えられていました。それゆえに、仏教の影響を受けて神様も絵や像などで表すようになってからも、我々の先祖たちはいかにして我々常人とは異なる超越した存在であるかを表現したらいいのか葛藤してきたのです。この結果、スサノヲのミコトにみるような、多様な神のすがた・かたちの表現が悠久の時代の流れのなかで培われ、蓄積されてきたのでした。
 現在古代文化センターでは、このような他国にほとんど例をみない、古代から現代にいたる我が国における神のすがた・かたちのイメージの変遷をたどることによって、神に対する日本文化のこころを探る研究を進めています。その成果は平成22年に企画展としてご紹介する予定になっています。 <古代文化センター 岡宏三>

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