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三 招福でめでたい!

 人々はいにしえより多くの神々に様々な願いをかけてきました。ここでは、正月にちなんで七福神など招福を願った神々を紹介します。
 七福神は、福をもたらす七体の神で、中世末頃に成立しました。しかし、その神格は一定ではなかったようで、恵比須・大黒(天)・毘沙門天・弁才(財)天・布袋・寿老人・福禄寿に定まっていくのは江戸時代になってからです。
毘沙門天図

毘沙門天図
江戸時代後期(19世紀)
当館
 毘沙門天はヒンドゥー教の財宝の神クベーラの別名。仏教では四天王の一つとされ北方を守護する神とされ。日本に入って鞍馬寺への信仰を中心としながら財福・施財の神として福神の1つとされました。また江戸では江戸時代半ば頃から、初詣とその年の招福を願って七福神を祀る社寺を巡る七福神巡りが盛んに行われました。その代表が谷中(台東区)の七福神巡りでした。この作品は、谷中感應寺(現在の天王寺)の毘沙門天像を描いたものです。












布袋図

布袋図(文彬 筆)
江戸時代
 布袋は唐(現在の中国)代末頃に実在した禅僧で、福々しい面相で布袋を背負って旅する修行僧として知られました。その袋には財宝が入っており、行くところ幸がもらされるという信仰が生まれました。室町時代に禅画の渡来とともに日本に伝わり、七福神の1つとなりました。











大黒図

大黒図(狩野栄信 筆)
文化11年(1814)
当館
 大黒(天)はヒンドゥー教のシヴァの化身であるマハーカーラが、仏教の守護神として取り入れられたものです。室町時代頃に大国主神と習合して微笑の相に変化し、さらに米俵上に坐立する福々しい姿となって豊饒・招福の神になりました。
 狩野栄信(1775-1828)は木挽町家狩野派の8代目の絵師。茶道をよくし、松江藩7代藩主松平不昧の恩顧を得たといわれています。


引札 帆船に乗る恵比須・大黒
明治40年(1907)頃
当館
 恵比須・大黒は福神の代名詞。恵比須はその源流は海から寄り来る神霊で、とりわけ漁民に幸をもたらすと信じられていました。中世になると市神として祀られるなど商業の神などともなり、七福神の1つとして、商売繁盛・五穀豊穣をもたらす神として信仰されました。ちなみに七福神の中では、唯一、海外に源流をもたない神です。


七福神宝船

柱絵 七福神宝船(鳥文斎栄之 筆)
江戸時代中期(18世紀末頃)
当館
 七福神に含まれる寿老人、福禄寿は中国由来の福徳・財運・長寿の神。南極寿星の化身とされています。福禄寿は、長頭で長い髭をはやし、経典を携えています。本作品には描かれていませんが、寿老人は一般に長寿の果実とされる桃や、長寿の仙薬を入れた瓢箪を携えています。

元禄24面大黒丁銀

元禄24面大黒丁銀
江戸時代前期(17世紀末)
当館
 両面にわたり「大黒像」の極印が24個打たれています。これほど多くの打刻は通常のものにはなく、献上用あるいは贈答用の特別仕様の丁銀と考えられます。平成29年は石見銀山が世界遺産に登録されて10周年というめでたい年です。

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