民謡1 臼を挽く夜にゃ必ず来にゃれ
臼を挽く夜にゃ必ず来にゃれ(臼挽き歌・浜田市三隅町)
歌い手 女性・1960年(昭和35年)当時72歳
収録・再話 酒井董美
→音声を聞く
臼を挽く夜にゃ 必ず来にゃれ
重か手ごしょと 言て来にゃれ
解説
昭和35年10月3日のことである。そのころ私は三隅中学校の教師をしており、たまたまこの日は体調が優れず、下宿で休んでいると伝承者である女性が訪問してこらた。そのとき歌ってくださったのが今回の一群の臼挽き歌であった。もし、私が出勤し留守をしていたらこの歌に巡りあうことがなかったかも知れない。私が大好きになった歌だけに、運命的な出会いであったと今も思っている。これはそんな歌なのである。
さて、昔は団子にする粉を作るために、夜なべ仕事で臼を挽いていた。この歌はそのような作業のさい、作業歌としてうたわれていた。
「手ご」は石見方言で「手伝い」の意味であるから「手ごしょと」は「手伝いをしようと」ということになる。全体ではだいたい次のようになる。
臼を挽く夜には、必ず来てください。
「臼は重いだろう。だから手伝ってあげる」と言って来てください。
詞章の内容は、女性が心に思う男性に対して、臼挽き作業を手伝いに来てもらいたいという気持ちをうたっている。
そうして改めて眺めてみると、この歌は恋愛感情をうたった、いわゆるラブソングであることが理解できよう。
ところで、ヨーロッパでは、恋人の家の窓辺へやって来て恋心をうたうセレナードが発達していたようだが、元々わが国では、そのような独立したジャンルの歌はない。その代わり田植え歌や臼挽き歌などの労作歌をはじめ、盆踊り歌などに、こうして男女の機微をうたうものが多い。
同じ金谷さんからうかがったそのような臼挽き歌のいくつかを少し挙げておく。これは歌をつなげて眺めてみると一つの物語になっているようだ。
忍びゃ来て待つ 夜なべはさかる 木綿車を二度投げた
木綿車も 憎くちゃ投げの お姑さまへの 面当てに
鳴いてくれるな ムク毛の犬よ 門にゃ殿ごが 来てござる
来なるはずだが 来ならぬからは 道で花ども 咲くだやら
ここまではいずれも女性から見たラブソングなのである。ところが男性側の答えに該当するような詞章も以下につながっているのである。
道で花ども 咲かしはせんが 昼のくたびれ 宵寝した
こららは素朴な農村の相聞歌と言えるのではなかろうか。