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「出雲そば」最古の記事、発見しました

「江戸参府之節日記」表紙
「江戸参府之節日記」表紙

「日暮、蕎麦切振舞」とある箇所
「日暮、蕎麦切振舞」とある箇所

1.「蕎麦切(そばきり)」とは?
練ったそばを平らに延ばし、細く切って麺にしたもの。現在のそばと同じ形のものです。 そばは古代から栽培されましたが、「そばがき」や「おやき」などにして食べられ、「蕎麦切」にして食べるようになったのは極めて遅れました。
現在のところ、最古の「蕎麦切」の記述は、長野県定勝寺の天正2年(1574)の古文書に「振舞ソハキリ」とあるものです。

2.今回発見された史料名・筆者名
史料:「江戸参府之節日記(えどさんぷのせつにつき)」     ・・・当館寄託史料
筆者:佐草自清(さくさよりきよ)(江戸前期の出雲大社の神職。寛文の大造営で活躍)

3.内容
約350年前の寛文6年(1666)3月27日、出雲大社の造営工事が進むなか、佐草は、松江において、松江藩寺社奉行・岡田半右衛門の役宅で、本殿の柱立(はしらたて)の儀式の費用ほかについて協議。日が暮れたところで「蕎麦切」の振る舞いがあった、と記してあります。


今日ハ、御柱立談合ニて日暮(ひくれ)、蕎麦切振舞、五郎佐(ごろうざ)殿(平野五郎左衛門。大社造営奉行の一人)・佐左(さざ)(小出佐左右衛門(さぞうえもん)。同)居(お)られ申し候。


4.意義
「出雲そば」の起源は、信州松本城主・松平直政が、寛永15年(1638)に、出雲松江城主として移ってきた時で、この頃「蕎麦切」も伝わったとされています。
これまで出雲そばに触れた古い記事は、嘉永2年(1849)の「出向ふ雲の花の旅」(阿波国・酒井弥蔵の出雲大社参詣日記)「五拾弐文 支度、蕎麦代」など、江戸後期~幕末以降のもの。今回の日記は、松平直政が出雲に移ってからわずか28年後の記事であり、出雲で既に蕎麦切が作られていたことを示す、現在のところ最古の記事でもあります。

【会期】
2015年10月21日(水)→ 12月14日(月) 会期中の休館日11月17日(火)

【場所】
常設展 ミニ企画コーナー「神在月と縁結び」

【料金】
常設展チケットまたは年間パスポートで観覧できます。

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