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絲原記念館資料情報(おすすめ収蔵品を見る)

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指頭山水図
指頭山水図
[江戸時代]
江戸時代 大雅は名を無名といい、16歳で柳沢淇園に師事し、為竜居士・霞樵・待賈堂・九霞・大雅堂と号した。49歳の時有名な「十便十宜」画冊を与謝蕪村と合作した。また白隠禅師に帰依深く、その禅門の交遊にて…
書「重山曲水楼」
書「重山曲水楼」
[明治時代]
明治11年 田能村直入は明治時代のわが国南画界の第一人者で、画及び書もよくした。 直入は明治11年(1878)と12年(1879)に絲原家に来遊した。この額はその際、直入に絲原家が当時隣村の三成に所有…
茶杓「銘小サヒ」
茶杓「銘小サヒ」
[江戸時代]
宗旦は千利休の孫で、字を元伯・号を咄々斎といい千家流茶道の確立者である。一生仕官せず、”佗び茶”に徹し、俗に”乞食宗旦”と称された。 本品は拭漆をかけない蟻腰の小造りなもので、櫂先は自然の丸みを利用し…
建盞天目茶碗
建盞天目茶碗
[不明]
天目茶碗は中国の天目山の仏寺の什器であった器を、わが国の禅僧が持ち帰ったところからこう呼ばれる。台子点前で天目台に乗せて、仏前への献茶や貴人点に使用される。 本碗は今から約千年前の中国・宋代の福建省の…
金厳山岩屋寺図
金厳山岩屋寺図
[不明]
明治11年(1878) 竹田の養子である直入は明治時代の南画家で、山水・花禽草木とも良くし、その熟達した筆致は当時の南画家中でも群を抜いた存在であった。 本幅は横田町にある古刹・岩屋寺を写したもので、…
文殊像
文殊像
[室町・戦国時代]
室町時代 普賢菩薩とともに釈迦如来の脇侍として左に侍す釈迦三尊のひとつで、右手に知剣、左手に青蓮華をもつ、智恵を象徴する仏。 ”三人寄れば文殊の知恵”のことわざはこの菩薩に由来する。
出山釈迦図
出山釈迦図
[江戸時代]
江戸時代 「出山釈迦図」添書 普為諸衆生 勒求於大法(人類のために人の道の みちのりをしっかりと求めた) 添書の下の絵は満八十才の雪舟が書いた「悟を開いて下山する釈迦」の図を探幽が写したものである。
人丸神図(柿本人麻呂図)
人丸神図(柿本人麻呂図)
[江戸時代]
江戸時代 (画賛)「梅の花 それとも見えず 久方の あまぎる雪の なべてふれれば」 人丸神:7世紀後半の人で、万葉集の代表的歌人・柿本人麻呂の異称。長歌に優れ、和歌技巧を駆使した荘重雄大な歌風により、…
書状「大高源五宛」
書状「大高源五宛」
[江戸時代]
内蔵助が、討入りの同士として最も信頼していた大高源五に宛た書状。源五は談林派の俳人としても著名で、この手紙の宛名も俳号の子葉となっている。 その大意は、源五が内蔵助を訪ねたときの手土産に対する礼と、そ…
懐紙「鉄の祝うた」
懐紙「鉄の祝うた」
[不明]
「ふけとふけと つきぬこがねのさちをもて 千万たからつまん此家」(絲原家のたたら操業を詠んだ歌)
書「無」
書「無」
[江戸時代]
不昧は松江藩第7代の藩主で名を治郷、号を一々斎・大円庵・未央庵・独楽・宗納などと称し、一般には不昧公と呼ばれた。 17歳で当主となり藩政を改革するかたわら、禅と茶を修め茶禅一味を提唱し、かつ実践した大…

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