1 | | 金厳山岩屋寺図 [不明] 明治11年(1878) 竹田の養子である直入は明治時代の南画家で、山水・花禽草木とも良くし、その熟達した筆致は当時の南画家中でも群を抜いた存在であった。 本幅は横田町にある古刹・岩屋寺を写したもので、… |
2 | | 人丸神図(柿本人麻呂図) [江戸時代] 江戸時代 (画賛)「梅の花 それとも見えず 久方の あまぎる雪の なべてふれれば」 人丸神:7世紀後半の人で、万葉集の代表的歌人・柿本人麻呂の異称。長歌に優れ、和歌技巧を駆使した荘重雄大な歌風により、… |
3 | | 茶杓「銘小サヒ」 [江戸時代] 宗旦は千利休の孫で、字を元伯・号を咄々斎といい千家流茶道の確立者である。一生仕官せず、”佗び茶”に徹し、俗に”乞食宗旦”と称された。 本品は拭漆をかけない蟻腰の小造りなもので、櫂先は自然の丸みを利用し… |
4 | | 出雲大社獅子図 [不明] 昭和時代 |
5 | | 出山釈迦図 [江戸時代] 江戸時代 「出山釈迦図」添書 普為諸衆生 勒求於大法(人類のために人の道の みちのりをしっかりと求めた) 添書の下の絵は満八十才の雪舟が書いた「悟を開いて下山する釈迦」の図を探幽が写したものである。 |
6 | | 具足「紺絲縅」・付鎧櫃及油単 [江戸時代] 絲原家の祖・善左衛門は、1624(寛永元)年に備後国(現・広島県)から仁多郡大馬木村に移住し、農業とたたら製鉄を営んだ。以後、歴代の当主は鉄政策を通じ松江松平藩と密接な関係を持ち、同じ奥出雲の田部家、… |
7 | | 和歌短冊「青柳云々」 [江戸時代] 「青柳の糸よりかくる春しもぞ みだれて花のほころびにける」 (玉映和歌):清見かた月すむ夜半のむら雲八 ふしの高根乃烟なりけり |